二女の場合・頭蓋内出血 検査浸け編

午前2時に生まれ、
午前8時には小児科の充実した
病院へ二女はピーポー で搬送されて行った。

赤ちゃんは産んだけど
赤ちゃんがいない状態だった。
最初の子だったら、きっと
ここで一気に産後ブルーに
突入だっただろうと思う。
私の場合は、終わった充実感と
爆弾をやっと体から離した
解放感でうれしさの方が先だった。
それに、毎日ガラス越しに
他の赤ちゃんの
身内の人に「小さい」を連発される
よりも気は楽だったと思う。

「あとは、医学の力を借りて
助けてもらえる」そう信じていた。

そこからは、夫が大変だったと思う。
毎朝、やっと入れた保育園へ長女を
送り、母乳を取りに病院にきて
それから、赤ちゃんがいる大きな病院へ。
そして出勤。仕事帰りにまた、私の病室へ来て
赤ちゃんの状態を報告する毎日。
「今日は鼻から2cc飲んだ」とか「黄疸が出ている」
とか…「心配することはない」という
夫の顔はとてもそうは思えない顔だった。
「大丈夫だから話して欲しい」と
いうと「色々な検査をしたら頭蓋内出血をしてるらしい…」
と。ショックだったけど、きっとあの子は大丈夫という
思いが冷静でいさせてくれたんだと思う。

退院後、1週間ぶりに見た二女は
保育器の中で大きなオムツ(普通の新生児用なのだが…)
1枚で鼻からミルクをもらっていた。
「なんて可愛い」でも、この頭蓋内で出血が起こっているなんて…

二女は週数のわりには大きな方だった。
そこには、本当に極小といわれる
小さな命が沢山頑張っていた。
一番、心配がある赤ちゃんから
奥の保育器。初めて行った時は
一番奥だった。日を追うごとに
手前にきて、そして
保育器から出してもらえる。
退院したばかりでも、毎日
母乳を冷凍して病院まで運ぶ。そして、
14時から16時までが面会時間。
親しか治療室には入れてもらえない。
滅菌用の帽子、上っ張り、マスク
厳重に手を消毒してやっと中に
入れるのだ。いくら姉妹でも、孫でも
親以外には入れない。

一番奥の特等席には23週の500gで生まれた
赤ちゃんもいた。「あの時、20週で生まれていたら
この赤ちゃんよりも小さな子だったんだ」と。
事の重大さに愕然とした。
その赤ちゃんはしばらくするといなくなっていた…

小さく産まれてしまった二女は
色々な検査浸け。その中の髄液の検査で
異常が見つかり頭蓋内出血があると
発見されたらしい。この小さな背骨から
髄液を採ったのかと思うと
胸が潰れる思いだった。
午後に行っても、午前中の検査の為に
睡眠薬を投薬されている二女はいつも
顔がへろへろで起こしても起こしても
中々寝ている姿しか見せてくれなかった。
2500グラムを待たずに
「状態が良い」ということで退院ができた。

それからも、CTやMRI、脳波、
ありとあらゆる検査の為に通院した。
結局、脳の出血は吸収されなくなった。が、
「なくなった後に、空洞ができるのです。
その空洞が今後、どう後遺症を起こすのかは
解りません。育てながら確認していくしかありません」
と、主治医に言われた。
夫と毎晩のように話し合いをした。
「例え、どんなことが起きようと
この子を守っていく道を探そう」と…

初めての子以上に神経質になりながらも
一つ一つ確認しながら
今日に至っている。
現在、7歳になろうとしている二女は
出生の時の15倍の大きさで
憎まれ口を利き、私を悩ませてくれている。
有り難いことだと思わなければいけないのだよね。
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